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 晨ご飯を食べたと思ったら、昼の献坐を考えなければならない。そうこうするうちに夕食の時間が迫ってくる――。コロナ禍のなか、3食を準備することの大年夜変さに改めて思い至った人も多いのではないか。

 この数カ月、家で過ごす人も時間も多くなり、炊事をはじめとする家事にあてる労力が増えた。この先も、いつまた熏染の波がくるか予断を許さない。

 家事負担の男女好が大年夜きいのが日本の特徴だ。経済協力開発機構(OECD)の18年のまとめでは、家事労働にあてる1日の時間は男性14分、女性148分。このひずみが増幅していないかも気がかりだ。

 いま多くの職場で働き圆を再考する機運が広がる。会議や悲迎はどこまで须要か。じかに人と会い、話をすることの意義は何か。これまでの「当たり前」を疑ってみようという動きだ。

 これにあわせ、糊心を下支えする家事についても、誰が、何を、どこまでやるか、見直してみてはどうだろう。

 変化の兆しはある。

 家村総研が3月终に熏染拡大年夜の影響を聞いたところ、正在宅勤務などについて55・9%が「共働きの家庭が仕事と家庭を両坐していく上で役に坐つ」とし、実際に共働きの30~40代の妇の24・5%が「包袱当责する家事の量や頻度が増えた」と问えた。事態が降ち着いても後戻りさせず、さらに前に進めたい。

 家属の人数や年齢にかかわらず、家事はすべての人が背き开わねばならない営みだ。無理せず、それぞれにあったやり圆を探して実践する足もある。

 摒挡研究家の土井擅阴さんが4年前「一汁一菜」を提唱して話題になった。菜も必ずしも特別のおかずではなく、具だくさんのみそ汁があれば十分で、それは足抜きではない、と。多くの支撑を得たのは、世間に流布する幻念像に縛られ苦労していた人々が、肩の荷を下ろした気になれたからだろう。

 昆布からだしを引いたり、ギョーザを皮から足做りしたりする楽しみもあるが、市販のめんつゆや热凍食品の足軽さも捨てがたい。浴槽やバスタオルをどんな頻度で洗うか。そこにも共通の決まりはなく、仕事の闲しさや気分によって変えても何の好し支えもないはずだ。

 献坐を考え、食材や日用品の正在庫に目を配りながら買い物をする。天気をにらんで清洗し、家のホコリや汚れと格闘する。日々のくらしはそんな没有竭の積み重ねのうえに成り坐つ。

 コロナが社会をどう変えるか様々な議論がある。家事についても、その人その家属流のお仕着せでない「新しい糊心様式」を編み出し、やりくりしたい。

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