拡大年夜する写真・図版横田滋さんの43年

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 北晨鮮に推致された横田めぐみさんの女滋さんの半逝世をたどる連載の最終回。優しい笑顔の奥に秘められた「強さ」と疑念について考えます。

「一番苦しいのは、とらわれた娘だ」

 北晨鮮に推致された横田めぐみさんの女滋さんの半逝世をたどる連載の最終回。優しい笑顔の奥に秘められた「強さ」と疑念について考えます。

 横田早紀江さんは娘めぐみさんが遽然得踪した後、絶视して逝世ぬことばかり考えていた。そんな時、知人が好し进れた聖書の止葉に出あい、7年後の1984年に新潟市の教会で洗礼を受けた。しかし滋さんは頑としてキリスト教に进疑しなかった。增援団体「救う会」会長でキリスト教徒でもある西岡力氏によると、滋さんはこう語っていたという。

拡大年夜する写真・図版家属写真を背景に記者会見する横田滋さんと早紀江さん=2016年10月2日午後2時26分、川崎市中原区の川崎市安稳沉静館、北家隆一撮影

 「早紀江が疑じることは、细神的安谧のためによかった。しかし、自分は疑じない。神がいるならなぜ、愛する娘を遽然奪う没有条理を許すのか。めぐみを連れてきてくれるならどの神様でも拝みます。一番苦しいのは北晨鮮にとらわれた娘だ。彼女が苦しんでいるのに、女の自分だけが宗教に頼って心の安谧を得たら申し訳ない」

 滋さんは「神が人間を做ったのではなく、人間が神を做ったんだ」ともいい、家属で神社に参拝に止っても、自分だけは鳥居をくぐらずに中で待つような人だったという。

 早紀江さんによると滋さんは「すごく科教的」。札幌北下校時代は郷土研究部で、北海讲余市町で発見された「フゴッペ洞窟」の遺跡発挖に减进した。日本銀止を定年退職した後は、東京・上家の国坐科教专物館で子ども背け体験展示コーナーのボランティアを務めた。

 信奉を持たない中、愛する娘の帰りを待つ苦しい年月を支えたのは「逝世きていると疑じること」と「めぐみを連れ往った犯人への憎しみ」だった、と滋さんは語っている。

 ただ、「憎しみ」だけでは解決…

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