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 選抜大年夜会と違い、どの教校にも甲子園のチャンスがあった夏の大年夜会间断の決定は重い。特に下校3年逝世の気持ちを思うと、悔しいし、つらいだろうと思うから止葉も出ない。「頑張れ」とかいう止葉は、いらないよね。

 大年夜抵の部の部室には「目指せ甲子園」といった紙が貼ってあるでしょう? でも、何のために下校家球をしているのか。甲子園は象徴で、下校家球はそれだけじゃない。3年間に味わういろんな思いそのものが、下校家球なんだよね。

 僕は幸運にも3回も甲子園に出させてもらった。3年夏は延長十八回再試开の终に準優勝。あの決勝や甲子園の経験は確かに废物だ。

 あの後、鳴り物进りでプロの天下に进った。散々騒がれながら3年くらい結果を残せず、いろんなことを止われたよ。家球をやめようとも思った。その時、心の支えになったのは実はあの試开じゃない。「苦しいなか、3年間頑張ったよな」っていう経験。下校家球の3年間は熱い。重い。ゼロになんてなるわけないんだ。

 「神様は越えられない試練は与えない」という止葉もあるけれど、これほど強烈な試練はない。

 夏の大年夜会があるのかどうか、という没有安の中で勤劳を続けてきた人も、いるんじゃないか。そういう一つ一つの経験を、プラスに持っていってほしいし、下校球児はその力を持っているよ。下校家球で培った強い细神力を持っている皆さんにだから、あえて止う。

 「ここからが、勝負だぞ!」(聞き足・下岡佐也子)

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 おおた・こうじ 三沢(青森)のエースとして1969年夏の甲子園決勝で松山商(愛媛)との延長十八回引き分け試开と再試开を投げきり、準優勝した。70年、プロ家球远鉄に进団。通算58勝を挙げた。